これはある友人でもあり尊敬すべき先輩でもある職人さんが
作ってくれた木のおもちゃ。
彼はいつも、仕事道具を丁寧に研ぎ、誠実な仕事をし、
自らが作り出したモノを世におくり出している。
これもそのひとつ。

ただ、ここであえて書こうと思ったのはそういう事ではない。
確かに、これは職人さんが毎日丁寧に管理している道具で作られ、
それを作るために長年の努力もしてきたと思う。
でも、モノとしてこのおもちゃが世に出てから、どのように
購入した消費者の人生に関わっていくかという事の方が、
この「おもちゃ」にとっては大事なんじゃないかと思う。
すでにこのおもちゃが我が家に来て、数ヶ月経つ。
最初は怖がってあまり乗らなかった木馬ではあったけど、
今ではウチの子供がテレビを見るときの定位置になっている。
きっと、十数年後ウチのこどもがせがれの手から離れた後、
この木馬を目にするたびに思い出すのは、
職人さんが丁寧に仕事をして仕上げてくれた製造工程ではなく、
今、ここでこの木馬に乗ってテレビをみているこどもの姿を
思い出すに違いない。
そして、その頃になると、こどもにとっては必要なものではなく
今度は親であるせがれや嫁にとって必要な「思い出の品」
として、ずっとこの家にあるんだと思う。
もちろん、作る側の素材に対するこだわりや、
道具に対する思い入れっていうのは大切で、モノ選びには
非常に大切な要素であることには違いないと思う。
でも、せがれはこの木馬のように
「ある時代のある人物の象徴」としてずっと大切にされるような
モノづくりができるというのはすごくすごい事なんじゃないかと思う。
そしてせがれも、そういうモノづくりがしたいと思ってた。
今現在その道具を使って、何年か後に部分的に擦り減ったりした
その道具を見て、いろんな事を思い出してもらえるような
そんなモノ作りができたらいいなぁ・・・と思ってたんだ。